「わたし」と「子育て」との出会い

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野北さんは海と山の自然が豊かな葉山町で、NPO法人「葉山っ子すくすくパラダイス」の代表を務め、「こどもにやさしい町、みんなにやさしい町」をモットーに、「すくパラ広場(親と子のつどいの広場)」や「すくパラのでるサポ(出張保育サービス)」、「親教育プログラム「トリプルP」」、「つくしんぼの会(野外のお散歩プログラム)」など多彩な子育て支援活動を展開しています。また県立美術館の協力を得てのイベント企画や地元企業の子育てタクシー事業普及への協力、など、地域に根差した活動に自然体で取り組む女性。葉山町子育て支援センター「ぽけっと」 ファミリーサポートセンターアドバイザーでもあります。

私生活では茶道を愛し(師範の腕前)、よき理解者である旦那様とワンちゃんとお住まい。

―ご自身はどんなお子さんだったのですか?

病弱なこどもだったんですよ、わたし。

―やわらかな笑顔でそう語りだす野北さん。

生まれたとき1800gの未熟児で、当時出始めの保育器に入れられ、その後も体が弱くとても手がかかったのです。

2歳のときに、薬の副作用で聴力障害がでてしまいました。ちょうど言葉を覚える時期だったので、ずいぶんと親は心を痛めたようです。

その後奇跡的に治り、まわりのあたたかいサポートをうけながらゆっくりと健やかに成長していきました。地域の人が毎日出入りするにぎやかな家で、いつも多くの方に見守っていただいていたことがよかったのでしょう。そしてなにより両親が常に希望をもって一生懸命手をかけて育んでくれたことに感謝しています。

―その後学生時代、就職、結婚を経て、転機が訪れます。

結婚後こどもができなかった7年間くらいは今から思えば葛藤をかかえていました。

でもあるときふっと思ったのです。

「あ、わたしは生まれないこどもに育ててもらっているのだな」と。

それまで人にやさしくしてもらったり、手をかけてもらったりするのがあたりまえだと思っていた面が多少あったかと思うのですが、結婚して、こどもができなくて、自分の力ではどうにもならないことがあるとわかって・・それで初めて人に対してやさしくなれたのだな、生まれてこないそのこどもがいたからこそ今の自分がいるのだなって思えたのです。そうしたら急にその生まれない子がかわいくなってしまって・・。

その瞬間涙がとまりませんでした。

こどもが授かっても授からなくてもわたしの人生は変わらない。こどもがいないから不幸とか、こどもがいるから幸せ、じゃなくて、こどもがいてもいなくてもひとりの人間として本当に幸せにならなければいけないと思ったのです。

生まれないその子に自分が守られているような感覚、つまり「その子がいて、今の環境があって、ああ、わたしがいるのだな」と思った気持ちは今も全然変わっていないですね。

だからこそ子育て支援に関われるのだと思います。

悩んでいた時期は親子をみるだけでも辛かったし、話をすることも苦手でしたが、今ではお母さん達と一緒に子育ての中にどっぷりいても辛くならないのです。

むしろ自分の子育てにかけるべきエネルギーと時間を「みんなと一緒の子育て」の方に振り向けられる。関わっているこどもたちは、自分のこどもではないけど、でもやっぱり自分の子だと思うのです。この子たちが幸せになるようエネルギーをかけることで、「生まれなかったわたしのこども」が「生まれなかった意味」があるような気がするのです。

「子どもは未来からの宝もの」へ続く>>