「自分らしい絵」を探しつづけて

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この王さまの絵、「知っている!」「子どものときから大ファン!」という方もいらっしゃると思います。
今回お伺いしたのは、絵本作家の和歌山静子さん。1960年代から手がけた寺村輝夫さんの「王さま」シリーズの挿絵をはじめ、様々な絵本作りに取り組み、現在は、逗子のご自宅を拠点に「アジア絵本ライブラリー」でも活躍されています。

―まず、和歌山さんの絵本との出会いや絵本作家になったきっかけを教えてください。

私は1940年の生まれです。まさに太平洋戦争へと突入していく時代で、真珠湾攻撃の翌年函館に移り、東京にいる父と離ればなれになって暮らしました。空襲警報が鳴って、家の前に掘った防空壕に入ったときの暗く不安な気持ちは今でもはっきりと覚えています。
終戦後すぐに東京へ。足立区の荒川の支流のそばに住みました。まだテレビのない時代で毎日来る紙芝居が楽しみでした。この紙芝居が私の絵本との出会いの原体験かもしれません。荒川は雨が降るとすぐ水浸しになるので、タライに乗って遊んだり、家には猫も犬もウサギもアヒルも鶏もいたり、物はないけどとても幸せな子ども時代でした。
もう一つ本との出会いは、小学生の頃病気のため自宅で療養していたときに、父が買ってくれた世界少年少女児童文学全集を読み聞かせてもらったことでしょうか。「岩窟王」や「十五少年漂流記」など、毎日1章ずつ読んでもらうのがとても楽しみでした。絵も大好きで、中学時代から絵の道に進もうと思っていました。

高校卒業後、武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)のデザイン科に進みました。卒業後は日宣美(日本宣伝美術会)の会員の事務所で働いたり、フリーで活動したりしている中、「新農村」という小さな雑誌に書いた表紙絵があかね書房の編集長だった寺村輝夫さんの目にとまり、「王さま」シリーズを引き受けることに。また、寺村さんのご縁で堀内誠一さんのアドセンターで働かせてもらうことになり、2年間ほど商業広告の世界にも身を置きました。まだ大手広告代理店のようなしっかりした組織が力を伸ばす前で、忙しかったけど、力のある人たちに囲まれ、本当に面白かったですよ。
でもその頃お会いした、福音館の松居直さんに、「あなたはもっと違う絵がかけますよ」と言われたことが、後々までトラウマになり、30代はたくさん仕事をこなしながらも「私の絵ってこれでいいのか?」「違う絵ってどういうものだろう?」とずっと悩んでいました。
王さまシリーズだけは、しっかり描き続けていくことができましたけれど、その迷いが絵に表れてしまっていたんでしょう、そのころに描いていた本は絶版になっているものが多いのですよ。

―母になって訪れた、絵本作家としての転機

その後42歳で子どもを授かりました。思ってもみないことでしたが、もうこれは産むしかないと覚悟を決め、息子を出産。それまでの東京での仕事中心の暮らしをやめて、両親の住む逗子へと転居し、40代は子育てで忙しく過ぎていきました。
子どもができて、初めて私は毎日毎日声をだして絵本を読み聞かせるようになりました。今まで長い間絵本を描いていたにも関わらず、声にだして読んではいなかったんですね。息子のために声色を変えたりしながら読みきかせているうちに・・うーん、やっぱり絵本って文章だ!と思うようになりました。文章はページをめくらせるエンジン。絵本の言葉の大事さを気づかせてもらい、そこからはもう悩みはどこかに消えてしまい、自分の言葉でいつか絵本を書こうと思うようになりました。

そして、初めてオリジナルで作ったのが「ぼくのはなし」という絵本。息子が10歳のときの作品で息子のために描いた最初で最後の本です。性教育の話ですが、監修を高校時代の恩師にお願いし、小学生くらいの子どもでもわかる内容の絵本を作ったのです。この中で伝えたかったのは、「ぼくがぼくとして生まれたことがいちばんうれしい」という言葉。
これは実際に5歳のときの息子の言葉です。その頃、息子のおじいちゃん、父親、お世話になった堀内さんと、次々と大好きな人たちを亡くし、落ちこんでいた私は、つい息子に「あなた生まれてきてよかったと思う?」と聞いてしまったのですが、「僕でよかったよ。」と息子はすぐ答えてくれたのです。息子はちょうどその頃、生まれつきの軽い障害のため人と少し違うからだつきをしていることを気にする年齢になっていたのですが、そんな息子が言ってくれたこの言葉に励まされ、のちに絵本にも使わせてもらったのです。
息子の影響をうけながら、あらたな取り組みをしたというのが50代以降ですね。

文章を大事にした絵本、できれば自分の文章をつづった絵本をつくることを目指しました。福音館書店で赤ちゃん向けに出版した、「てんてんてん」は、赤ちゃん絵本の中に「抽象」を取り入れる試みですが、虫を題材にしたのは、私も息子も虫好きだったからです。私の代表作のひとつです。他にも30代の頃の作品を復刻するという仕事もやりました。自信がなかった頃の絶版になっていた作品も、線に勢いがついて、同じ題材でも全く違う絵本になりました。
子どもが生まれなかったら私はきっと変われなかった。だから子どもを産んだことが私の転機なのですよね。
絵本に「いのちの輝き」と「平和の願い」をこめて>>に続く

———————–プロフィール———————————————————
和歌山静子(わかやましずこ)
1940年京都市生まれ。武蔵野美術大学デザイン科卒業。児童出版美術家連盟所属。
寺村輝夫氏の『ぼくは王様』をはじめとする「王様シリーズ」など、挿絵、絵本、デザインで活躍。
1980年 『あいうえ王さま』(理論社)で絵本にっぽん大賞受賞。1982年『おおきなちいさいぞう」(文研出版)で講談社出版文化賞絵本部門受賞。『しっこっこ(できるよできる)』(偕成社)『てんてんてん』『ひまわり』(福音館書店)など作品多数。
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