おもちゃを通して生きる喜びや心の交流の場を

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<<「大切にする心」を育む、おもちゃドクターとしての続きです)
―今年の3月11日の大震災後、被災地に行かれたそうですね。
連日避難所での様子が報道され、被災者の方が布団のところに座り、どんぶりを床において食事をしているのをみて、これではいけないと思ったのがきっかけです。人間の尊厳にかかわる気がして、胸が痛みました。たとえ畳二畳分のスペースでも、ちょっとしたテーブルに食べ物をのせたり、小物をのせたりできたら、そこが生活の中心になって気持ちよく過ごせるのではないかと思って、仲間と一緒に折り畳み式のミニテーブル20台とカエルの親子の組み木人形33組を製作し、5月に自家用車で福島県いわき市を目指しました。最初に訪問した四倉高校避難所で快く全て受け取ってもらえました。そして体育館の一角をお借りしておもちゃ病院を開き、組み木人形の仕上げ加工を皆さんと一緒に行いました。

組み木人形をカエルにしたのは、「無事カエル、よみガエル、元にカエル」という思いを込めたからです。最後の仕上げを自分でしていただくことで、愛着をもっていただけるのではと思い、サンドペーパーを添えました。たとえ仮のテーブルや人形であっても、少しでも心が癒されるようにと、材料はぬくもりのある松や檜の無垢材を選びました。
避難所のみなさんと一緒に作業した1時間のうちにいろいろな話が聞けてよかったですよ。お昼どきにおいとましたときに、「朝早く遠いところから大変でしたでしょう。援助品ですけど昼食にしてください」とかえってお気遣いをいただきました。自分たちが大変なときに、人を思いやる被災地の方々の心の温かさと強さに触れ、心を動かされました。
案ずるより生むが易し。行くまでは不安もありましたが、前向きに行動して本当によかった。
一日も早く、四倉のみなさんが元気に家に帰られる日がくることを祈っています。

―それでは、最後にポジティブメッセージをお願いします。
おもちゃ病院をつくった目的は、先に話したとおり、お子さんの「ものを大事にする心」を育むということもありますが、もうひとつ「三世代の交流ができる場所を作る」ということもあります。おじいちゃんおばあちゃんと親と子どもの三世代、ですね。最近は高齢者と子どもが同じ場所にいる機会自体減っているのですが、おもちゃ修理の中で、若干でも「あのおじいさんが直してくれた!」と思ってもらえるなどの心の交流や関わりをもてることに意義を感じています。それが、ひいては「高齢者の社会の構成員としての立場」を維持することにつながっていると思うのです。

夜、寝るときに「明日は何をやろうかな」と考えて、なんにも思いつかないことほど不幸なことはない。他者のためにという思いももちろん大事ですが、それ以前に、高齢者自身がこの社会の一員としてなにか役に立っているという実感できる場をつくろうというのが私のボランティアの考え方の基本にあるのです。
気負わず、「楽しくうれしいボランティア」をこれからも続けていけたら、と思っています。

―ありがとうございました。

———————–プロフィール———————————————————
三上峰代(みかみ みねよ)
1940年生まれ 
1965年千葉工業大学卒業 
1965~1997年昭和電工㈱勤務。技術者として活躍。
1998年~ボランティア団体 リリーフクラブにて高齢者支援に携わった後、2004年「みなみ・おもちゃ病院」を開設。
現在、常時受付可能な2か所を含む10か所でおもちゃ病院を開催。
2005年より姉妹グループ:木の遊具工房「木馬」にて、木の質感にこだわったおもちゃの制作なども手掛けている。
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